2022.1.8.
今日は朝からとても気持ちいい。
いつものお参りがてら散歩しても、風もなくぽかぽかしている。見上げると晴天が広がっていて、マフラーを巻いていても、少し歩いただけで取ってしまいたくなるくらい今日は暖かい。
日の当たる布団の上で気持ちよさそうに毛繕いをしているごまを見ていると、とても幸せな気持ちになってくる。
ありきたりな日常だと思わず、こうやって穏やかに、健やかに、お互いを必要として過ごしている日々に感謝していきたい、とつくづく思う。




離婚してしばらくの間は、本当の私はこんなところで燻ってちゃいけないんだって、自分で自分を追い込み、自分に多くのことを求めすぎてしんどくなった時期もありました。
そこから、ごまと出会い、なんてことない日常を、ありがたいなぁ、これを幸せと言うのだろうか、私ってそこそこ幸せなのかもって思えるようになり、多少の行き詰まりも、人生長く生きてるとそんなこともあるよねぇ、って流せるようになって、なんだか体が軽くなった気がしたんです。
そしてつい先日、読み終えた本の中で、心を揺さぶられるというか、代弁してくれているというか、ずっと余韻から抜け出せない本と出会えたので、ご紹介したいと思います。
山本文緒「自転しながら公転する」(新潮社)

女性の主人公が結婚、仕事に悩み、親の介護に翻弄されながら、自分にとっての幸せのかたちを模索するという内容。
単行本を発行するにあたってプロローグとエピローグが付け足されているみたいで、エピローグの最後にストーリーを要約する大事な主人公の台詞が書かれています。
「別にそんなに幸せになろうとしなくていいのよ。幸せにならなきゃって思い詰めると、ちょっとの不幸が許せなくなる。少しくらい不幸でいい。思い通りにはならないものよ」
レビューを見ていると、このプロローグとエピローグは不要だ、という感想もたくさん見受けられましたが、わざわざプロローグとエピローグを付け足してまで作者が残しておきたかったメッセージは何かと考えると、この台詞なのだと思います。
難しい言葉じゃないんですよね。だからストレートに心に突き刺さりました。
人生の折り返し地点をとっくに過ぎてしまった私。これからも何かに行き詰まることがあると思います。その時はまたこの本の最後を読み返し、幸せのかたちについて考え直したいと思います。